2009年01月26日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記 total 6682 count

goo明治地図で見る明治時代の「秋葉原駅=日本鉄道會社貨物取扱所」

Written By: 川俣 晶連絡先

 今日の仕事が一息ついたので、息抜きにgoo地図で昔の航空写真でも見ようか……と思ってアクセスしてみると。

 いきなり山手線周辺の明治地図を公開などという文字が。思わず見てしまうではありませんか。

 残念ながら収録範囲が狭く、当然下高井戸等はありませんが。

 秋葉原で面白いものを見つけました。

 以下を見てください。

 ここでは、純粋な貨物駅であった時代の秋葉原駅の状況を見ることができます。ちなみに、これは神田川関連の話題であり、まさに下高井戸と連続した世界の話です。

 しかも、実に興味深い内容です。貨物を神田川経由の水運に接続するために、上野駅から秋葉原まで線路を延ばしたことは知っていました。そこで漠然と、川沿いの貨物駅から舟に荷物を積み替えるのだろうと思っていました。

 しかし、これを見るとそれほど単純ではないことが良く分かります。

  • かなり大きく四角い積み卸し用の堀割(舟溜)が存在し、細い水路で神田川本流と接続されている
  • この堀割の周囲には四角く線路が敷かれていて、4つのコーナーには小さな転車台らしいものが存在する。状況から見て貨車を1台ずつ乗せて回転させる仕組みかもしれない
  • この線路は西部に引き込み線を含むかなりの量の線路網が存在するが、上野から来る貨物線の本線とは接続されていない

 ここから考えると、以下のような推理も成り立ちます。

  • 線路が接続されていない合理的な根拠があるとすれば、もしかしたらゲージが違うのかもしれない。つまり、構内の積み卸し専用線路はナローゲージという可能性があるのではないか?
  • 構内専用線は小型の蒸気機関車、馬、人力などで貨車を移動させた可能性が考えられるが、転車台を経由して貨車を移動させる手間を考えると、案外人力がメインだったのかも……と思わなくもない。しかし、貨物本線との積み替え部分からまとめて貨車を移動させるために、小型の蒸気機関車があってもおかしくないような気もする

 ちなみに、WikiPediaの秋葉原には以下のような記述があります。

舟溜は当駅構内では東西に長くなっており、上野駅から入線してきた貨車は、構内に設置された小型の貨車用転車台に載せられて直角に向きを変え、東西方向に舟溜の両側に敷設された線路に入って船との連絡をとる仕組みになっていた。

 これを読むと、同じ貨車が直接乗り入れてきたように読めますが、地図が間違っているのか、WikiPediaの誤記なのか、それとも地図の時代の後で直接乗り入れ可能に構内専用線が改修されたのかは分かりません。

感想 §

 世間の多くの人が思うほど私には秋葉原という土地への思い入れはありません。昔も今もそれほど素晴らしい街ではありません。しかし、南北の鉄道路線が神田川と交わる場所、という意味では重要な意味があります。興味対象である「鉄の道」と「水の道」が交わる場所ですから。この話題はまさにそういう意味で自分としては大ヒット。

下高井戸周辺史雑記